Sophere / にきもの / 2010年8月

にきもの

海へかえる正岡豊「冬の翼」連作評

近藤健一

同人誌『町』三号において服部真里子が正岡豊「冬の翼」の連作評を行っている。それに触発されてこの連作を読み直してみたのだが、思っていた以上に読み応えがあることに気付いた。そこで自分なりの評を行ってみたいと思う。

まず連作の全十一首を引いておく。出典は荻原裕幸編集『短歌ヴァーサス』六号誌上に収録された正岡豊『四月の魚』増補版である。元の作品にはないが、便宜上それぞれの歌に番号を振ってある。

冬の翼
  1. 夢のすべてが南へかえりおえたころまばたきをする冬の翼よ
  2. ぼくの求めたたったひとつを持ってきた冬のウェイトレスに拍手を
  3. 身体にひぐれは来ないさびしさのモーターボートが岬へ向かう
  4. 誰だいまぼくの寝顔に十二個の星をはりつけてゆきたるは
  5. みずいろのつばさのうらをみせていたむしりとられるとはおもわずに
  6. 海は救命救急センターから来たる救急車運転手の帽子に
  7. 宇宙の野戦病院のナイチンゲール きっとあなたもいつかなるのだ
  8. もうじっとしていられないミミズクはあれはさよならを言いにゆくのよ
  9. めずらしく窓に硝子のあった日に砂糖を湯へとぼくは溶かした
  10. さかなへんの字にしたしんだ休日の次の日街できみをみかけた
  11. かがやきながらそしてかすかにうつむいて 海にざんぶとたおれこむまで

連作を通して一定のトーンが保たれていることが分かる。漠然としたさびしさ、あるいは服部の評を参考にすれば喪失の予感、ととりあえずは言えるであろう。このことを念頭に置きながら連作を読み込んでいく。

一首目、まばたきをする翼のイメージが美しいが、具体的な景はとりにくい。連作を通して季節は冬と考えられるが、冬になって南へ帰った翼がその地でまばたきをするということであろうか。しかし南に帰ってしまった翼を「冬の」と形容するのは少しおかしく、かといって帰る直前の時期を捉えたと考えるのもやや無理がある。

二首目、心から望んでいた願いをウェイトレスがかなえてくれたのであろう。そのことに対して感謝の拍手を贈っているのだが、どことなくさびしさが感じられる。おそらくそれはウェイトレスが職業であることによる。ドライな言い方をすればウェイトレスは仕事として注文をこなしているに過ぎないのだが、にもかかわらず感謝してみせなければならないところに「ぼく」のさびしさが存在する。

三首目、二句目までと三句目以降がそれぞれさびしさの喩になっている。四首目、気付いたときには既に犯人は逃げてしまっている。いたずらそのものは愉快な感じもするが、それによって引き立てられる喪失感がポイントであろう。五首目、比喩的に何らかの裏切りを示唆していると思われる。直接的な感情表現が避けられていることから静かな怒りのようなものも感じられるが、やはり身体あるいは心の平穏の喪失が主眼であろう。なお「つばさのうら」は四首目の「寝顔」に通じる。

六首目、五首目を受けての緊急事態ということだが、歌そのものの意味はとりにくい。七首目、病院という連想および職業のモチーフによって歌が続くが、やはり意味はとりにくい。八首目、語りを意識させる「もう」「あれは」「のよ」という言葉の効果で、服部の言う喪失の予感が胸に迫ってくる。しかしこれを誰が語っているのかははっきりしない。

九首目、日常の描写という今までとは雰囲気の異なる歌になっているが、溶けてしまうことによる喪失のイメージが提示されている。十首目、上の句は海に思いを馳せた休日ぐらいの意味であろうか。下の句は見かけたが話しかけなかったというさびしさについて述べている。十一首目、十首目から考えて「ぼく」が海に倒れ込むのであろう。しかし「うつむいて」「たおれこむ」という表現には違和感があり、上の句の意味は少しとりにくい。

ここで連作の構成について考えてみると、ポイントとなる歌があることに気付く。一首目と十一首目は最初と最後なのでポイントになるはずだとして、感情の出し方や表記法などから考えて五首目と八首目もポイントであろう。この二首に挟まれて病院関連の歌二首が並んでおり、また八首目と十一首目に挟まれて日常描写の歌二首が並んでいることから類推すると、二首目はポイントになる歌であって、三首目と四首目にはなんらかの関連があるのではないかと考えられる。一首目はこの構造から外れるが、表題の元となった歌なので役割が異なるのであろう。

さらに七首目の「あなた」と十首目の「きみ」は同じ人物を指すのではないかと考えてみると、俄然連作が立ち上がってくる。すなわち、この連作には「ぼく」以外に「きみ」がいて、二人の関係が常に背景として描かれているのである。六首目と七首目、あるいは九首目と十首目が「ぼく」と「きみ」に対応するのは見やすいし、八首目は「きみ」の語りと考えるのが自然である。このことを考慮しながら連作を読み直していく。

分かりやすい六首目と七首目から見てみる。「救急車運転手」と「ナイチンゲール」は「ぼく」と「きみ」の対比になっているが、さらに「海」の近くにいる運転手と「宇宙」にいるナイチンゲールという対比が存在する。つまり「ぼく」と「きみ」の間にはそれだけの隔たりが存在しており、七首目の下の句で「ぼく」は「あなた」の喪失をはっきりと予感している。「きみ」ではなく「あなた」と言っているのは二人の隔たりを強調するためであろう。その流れで八首目を読むと、これは明らかに「きみ」からの別れようという返答になっている。

別れそのものは描かれず、九首目では既に別れた後の話になっている。これは歌の雰囲気が変わることとも合致する。海と宇宙の対比を考えると、九首目の上の句は宇宙から「硝子」によって隔てられているという描写である。また下の句の「湯」は海に通じ、十一首目を考慮すれば「砂糖」は「ぼく」である。十首目の上の句は先ほど述べたように海の雰囲気をまとっており、下の句で「きみ」に話しかけなかったのは別れた後だからである。十一首目の下の句はやはり「ぼく」が海へかえる様子の描写だと考えられるが、上の句は「きみ」についての描写であるとするのが自然である。すなわち、「きみ」は「星」として宇宙で輝いているが、少しだけ「ぼく」の行く末を気にかけてもいるのである。

二首目について考えてみると、これは明らかにボーイ・ミーツ・ガールであり、物語の起点となっている。三首目の「ひぐれ」は宇宙に属する現象だから「きみ」を意味しており、また海で「モーターボート」を運転しているのは「ぼく」である。つまりこの時点で既に二人の間には隔たりが存在している。四首目で「星」を貼り付けていった犯人はもちろん「きみ」である。五首目は二人のすれ違いのために「きみ」のいたずらがエスカレートしてしまったというあたりであろう。この攻撃性は「きみ」の比喩である「ミミズク」が肉食であることにも通じる。

残る一首目を読み直してみると、これは十一首目と似た構造をしていることが分かる。すなわち、「夢」=「きみ」は遠くへ行ってしまい、後には「冬の翼」=「ぼく」だけが取り残されるのである。なぜ「ぼく」はついて行かないかというと、五首目の事件によってまばたきはできても羽ばたきができなくなってしまったからである。

再び連作の構成に目を向けてみると、一首目は全体の縮図、二首目は物語の起点、後は三首ごとに物語が展開するよう歌が配置されていると考えられる。

全ての夢が去った後、何を思って冬の翼はまばたきをするのであろうか。最後に海へかえってしまう前に。

2010年8月8日
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