Sophere / にきもの / 2009年3月

にきもの

理解できない人は下がって

2009年3月31日

この間の短歌研究に載った穂村弘と吉川宏志の対談に、吉川宏志が

という歌の読み方が分からないと言うので、穂村弘がそれを説明するくだりがある。ここでは僕なりの読みを説明したい。

上の句のようなフレーズは何度も聞く機会があり、しかもそれは不特定多数に向けてのメッセージだ。つまりアピール度はかなり低く、意識に上らないとさえ言っていいだろう。ところが下の句は違う。これは明確に自分に向けられたメッセージだ。それは上の句との非連続性から分かる。つまり「お下がりください」とは言っておらず、また内容もかなり趣が異なっている。上の句で漠然とあたりを漂っていたメッセージが、下の句で一気に自分へと収束する強いフォーカス感がある。

何が理解できないのだろうか。上の句の日本語が理解できない、ではない。なぜなら最後に確信を持って「下がって」と命令して(あるいは頼んで)いるからだ。あえて説明をつけるとすれば、鉄道というシステムにおける決まり事が理解できない、となるだろう。つまり下の句では何故かは分からないがとにかく下がれと言われる状況になっている。ここでは理由の不在が重要であり、より的確な読みとして「何が」を不問にすることもできるだろう。

自分にメッセージを送ってきたのは誰だろうか。これはシステム、それも鉄道ではないより大きく漠然としたシステム、言い換えれば「世界」であると考える。有り体に言えば「世界」から自分に直接メッセージが届いたという歌と捉えるわけだが、フォーカス感、理由の不在、あるいは快速電車の通過という危うさによって、十分なリアリティが獲得されている。

穂村弘もシステムからのメッセージという言い方を使ってはいるが、自分のいるシステムについていけなくなるかもしれないという恐怖が背景にあるのでは、と説明しているので、僕の読みとは異なっている。吉川宏志は「玉音を理解せし者前に出よ」(渡邊白泉)を踏まえている可能性や、下の句のパラドックス性に触れているが、どちらも的を外しているように思う。

彼はこんなことも言っている。

若い子がこの前、歌会に来てて、「これは世界につながる歌なんだ」というふうに言うわけ。でも、その「世界」というのは、どういう意味で使っているんだろうと思ってしまう。

突然「世界」を持ち出してくるのが飛躍だと言われたら否定できないが、それでも「世界」を使った説明は僕にとってリアルだし、そう思う人は僕以外にも多くいるはずだと思う。そして「世界」をリアルと捉えられるこの感覚にはある種のバックグラウンドが共通して存在するように思うのだが、それについてはまた別の機会に譲ることとしたい。